1950年に創業者 故・武谷ピニロピが開設した武谷診療所は当初眼科の診療を看板に掲げましたが、ケガや風邪の診療に訪れる人が列を成しました。当時清瀬村には結核専門の病院しかなかったため地域住民の利用できる診療所として親しまれた武谷診療所は徐々に専門の科を増やし総合病院として地域医療の中核を担うようになりました。武谷診療所の開設からレニア会として現在運営するアルテミス ウイメンズ ホスピタル、きよせの森コミュニティクリニック、ウイメンズ・クリニック大泉学園、あおぞらレディスクリニックの病院史をご紹介します。
1950年4月 | 東京都北多摩郡清瀬村上清戸565番に診療所開設。院長、職員3名。 | |
1954年10月 | 内科・小児科担当医1名と看護婦1名を増員し、総勢8名体制。 一見「しもた屋」風の診療所は既に手狭になっていたが、目を離せない患者は畳敷きの当直室に寝かせて「入院」扱い。薬品も不足しがちだった時代である。毎朝、医師自ら大根おろしをすっては、ビタミンC源として入院患者に与えた。 |
|
1956年 4月 | 外科、整形外科、皮膚科を担当する医師1名と新たな事務員1名を採用。9床のベッドを置いた入院棟を増設。 一旦出血すると血液が凝固しない血友病の子供の扁桃腺手術をしたのもこの頃。なかなか血が止まらない扁桃腺を、当直医が一晩中手で抑えて看病。ついにこの子を助けることができた。「ナイチンゲール精神、健在なり」を立証したエピソードである。 |
|
1957年 4月 | 木造2階建ての新入院棟を増設。1階に10床のベッドを入れ、2階を看護婦宿舎とした。それに伴って看護婦5名新規採用。 「カナマイシン」「ペニシリン」「ストレプトマイシン」など、画期的な新薬が次々に誕生したのもこの年である。「少しでも患者を楽にしてあげたい」と願う院長は、効果があると判断すれば、保険適応外の患者にも積極的に投与。結局保険金がおりず、その分は診療所の「持出し」となった。この持出し分が余りにも多いので、事務の人たちは頭を悩ませたそうである。 |
|
1959年暮れ | 7床のベッドを追加。この年の春、3名の看護婦を採用した診療所は18名体制となり、トータルで26床のベッドをもつことになった。すでに診療所としての枠を越え、実質上病棟の規模を確立。 | |
1960年 春 | 診療所は創立10周年を迎えた。 これを機に、新病棟を残して古い建物を全面的に撤去し、新築工事に着手。新しい診療所は、円形棟を中心に、放射状に病棟が広がるロシアの病院を模した造りとした。この年に、産・婦人科を新設。人員も30名となり全診療科が揃った。 |
|
1965年 春 | 清瀬村は清瀬町に昇格。この年、48名体制・ベッド数26床の診療所も正式に病院に格上げされた。 | |
1967年 1月 | 手術室と20床のベッドを備えた鉄筋コンクリート造2階建の新病棟を完成。スタッフは68名となった。 | |
1974年 2月 | 新病棟建設のために、円形病棟の解体作業開始。このときの職員総数は84名。仮設診療所で診察を続けた。 | |
1975年 4月 | 最新診療設備・機器を導入した鉄筋コンクリート造3階建・延床面積3,027平米の現病棟本館が完成。 武谷病院は1967年竣工の旧館を合わせると延床面積3,441平米、ベッド数108床、職員数107名の病院に成長した。その後病床は102となった。 |
|
1980年10月 | 武谷ピニロピ院長が清瀬市および東久留米市より医療関係功労者として表彰される。 | |
1992年11月 | 全国に先駆け医薬分業実施 | |
1993年12月 | 法人となり、病院名を医療法人社団レニア会 武谷病院に変更。武谷ピニロピ院長、理事長に就任 | |
1995年 9月 | 耳鼻咽喉科を「武谷ひまわりクリニック耳鼻咽喉科」として移設 | |
1997年 7月 | 女性専門外来「武谷ひまわりウイメンズクリニック」開院 | |
1998年 1月 | 理事長業務に専念するため、武谷ピニロピ理事長は、武谷病院院長を退任 | |
1999年12月 | 医療法人社団レニア会 武谷ピニロピ記念 「きよせの森総合病院」として運営開始 | |
2000年 4月 | 創立50周年を迎える。 | |
2000年11月 | 創立50周年記念式典を行う。 | |
2004年12月 | 年間分娩件数 初の1,300件突破 | |
2005年11月 | 不妊治療専門クリニック「ウイメンズ・クリニック 大泉学園」開院 | |
2005年12月 | 創立55周年記念式典を行う。 | |
2006年 5月 | 病院の耐震診断を行う。震度6程度の地震にも倒壊しないとの診断結果 | |
2006年11月 | 渡邉院長の定年に伴い、耳鼻咽喉科「ひまわりクリニック」を閉科 | |
2006年12月 | 年間分娩件数 1,500件突破(1,505件) | |
2007年 1月 | 糖尿病科/内分泌代謝科を生活習慣病専門クリニック「きよせの森 風間内科クリニック」として移設 | |
2011年 11月 | 眼科白内障外来開始 | |
2014年 2月 | 東久留米市に「アルテミス ウイメンズ ホスピタル」開院。きよせの森総合病院の産婦人科、小児科、女性内科、消化器内科、乳腺外科、人間ドックをアルテミス ウイメンズ ホスピタルへ移転。 きよせの森総合病院は「きよせの森 コミュニティクリニック」としてリニューアル |
|
2015年 8月 | 武谷ピニロピ理事長 逝去 | |
2015年 10月 | 武谷ピニロピ理事長の病院葬を清瀬市のけやきホールで行う。 | |
2016年 4月 | 武谷雄二理事、理事長に就任 | |
2017年 12月 | 年間分娩件数1,600件突破(1,611件) | |
2018年 5月 | 女性皮膚科、麻酔科開始 | |
2018年 6月 | 橘直之理事、ウイメンズ・クリニック大泉学園院長に就任 | |
2018年 7月 | 「島田レディースクリニック」開院 | |
2019年 7月 | 「島田レディースクリニック」レニア会より独立 | |
2020年 2月 | 産婦人科「武谷ひまわりウィメンズクリニック」は、「あおぞらレディスクリニック」に名称変更 峯伸也理事、あおぞらレディスクリニック院長に就任 |
|
2020年 4月 | 創立70周年を迎える。 武谷亮理事、きよせの森 コミュニティクリニック院長に就任 |
|
2020年 10月 | 松岡良理事、アルテミス ウイメンズ ホスピタル院長に就任 |
1993(平成5)年、武谷病院は法人化に伴い、病院の広報活動の一環として広報誌を発行、情報発信に努めました。 信頼される医療サービスへの取り組みを広く理解してもらうために、「すこやか」というタイトルで院内で配布していました。病院広報誌は、1998(平成10)年からは「れにあ」として職員向け広報誌を発行し、職員相互の情報交換の役割を果たしました。2000(平成12)年以降、病院の情報発信は、Webサイトやブログ、MLを活用したネット媒体に主軸を置き、紙媒体の広報誌の定期発行は休止しています。
駅看板で見る病院の変革を紹介します。